大判例

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大阪高等裁判所 昭和60年(ネ)481号 判決 1985年12月11日

控訴人 吉野享子

被控訴人 大来信一

主文

原判決を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

第一、当事者双方の求めた裁判

一  控訴の趣旨

主文同旨

二  控訴の趣旨に対する答弁

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

第二、当事者双方の主張

原判決事実摘示のとおりであるからこれを引用する。

第三、証拠[略]

理由

一  被控訴人は亡道雄の長男、控訴人は亡道雄の二女であり、亡道雄が昭和56年5月6日に死亡したことは当事者間に争いがない。

また、各成立に争いのない甲第3号証、乙第3号証の1、2、第4号証の2、3、6、第10号証の1及び原審における被控訴人本人尋問の結果によれば、昭和56年4月21日、亡道雄は、大阪法務局所属公証人○○○に対しその所有にかかる本件土地ほか5筆の土地を被控訴人に相続させる旨の遺言をし、同公証人がその旨を記載した遺言公正証書(昭和56年第2476号)を作成したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はなく、控訴人は、亡道雄が右公正証書遺言をした後に原判決添付別紙記載のとおりの書面を作成して本件遺言をしたことにより控訴人が本件土地を相続することになつたと主張していることは当事者間に争いがない。

二  被控訴人は、本件遺言は亡道雄の真意に基づくものではなく、同人は本件遺言当時遺言能力を有していなかつたと主張するが、右事実を認めるに足りる証拠はなく、却つて、前掲乙第10号証の1、各成立に争いのない甲第1、第2号証、乙第1号証、第4号証の1に原審証人大来七重(後記措信できない部分を除く。)、当審証人長富友代の各証言、原審における被控訴人(後記措信できない部分を除く。)、控訴人各本人尋問の結果を総合すると、亡道雄(明治36年4月6日生)は、本件遺言書が作成された昭和56年12月11日当時、病気勝ちで寝たり起きたりの状態ではあつたが、なお三女長富友代の嫁ぎ先が倒産したことについて同女の身上相談にもあずかるなど事理を弁識することのできる一応の理解力、判断力を有しており、本件遺言書の作成にあたつても、控訴人にかねて贈与すると約束していた岸和田市○○○町字○○○×××番×の土地を他へ処分してしまつたため控訴人から代りの土地を所望されていたところから、さきに公正証書遺言により被控訴人に相続させることにしていた本件土地をあらためてその代償として控訴人に相続させる意思のもとに、控訴人及び被控訴人の面前においてメモ用紙にボールペンで「六の坪五十六番地は享子やる」と自書したうえ署名しその名下に指印したと認められ、右認定に反する原審証人大来七重、当審証人大来春夫の各証言及び原審における被控訴人本人尋問の結果の各1部は、当審証人長富友代の証言及び原審における控訴人本人尋問の結果に照らして直ちには信用することができない。また、本件遺言書における亡道雄の氏名が「大来通雄」と表示され、日附の元号の「昭和」が「正和」と記載されていることは当事者間に争いがなく、前掲乙第4号証によれば、本件遺言書の亡道雄の筆勢は弱く字体もかなり乱れていることが認められるが、当審証人長富友代の証言及び原審における控訴人本人尋問の結果によれば、亡道雄は生前自分の名前を「通雄」と表示することもあつたと認められること、亡道雄は当時80歳に近い老人であつたことを勘案すると、これらの事実も未だ前記認定を左右するに足りる資料とはなし離い。

三  本件遺言書における氏名の表示が「大来通雄」であり、日附の元号が「正和」と記載されていることは前認定のとおりであるが、前認定のように亡道雄が生前自己の名前の表示として「通雄」を用いたこともあつたこと並びに本件土地を控訴人に相続させるという本件遺言の内容を併せ考えるときは、右「大来通雄」の表示は遺言者たる亡道雄の氏名の表示として十分であるというべく、また、「正和」の記載は「昭和」の明らかな誤記として本件遺言のなされた日を特定するに足りるものといわなければならず、いずれも自筆証書遺言の氏名、日附の記載として有効であり、本件遺言書はその要式性に欠けるところはないというべきである。被控訴人のこの点についての主張も理由がない。

四  以上のとおりであつて、被控訴人の本訴請求は理由がなくこれを棄却すべきものであり、これと結論を異にする原判決は相当でない。よつてこれを取り消したうえ被控訴人の請求を棄却することとし、控訴費用の負担につき民訴法89条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 乾達彦 裁判官 東條敬 馬渕勉)

別紙<省略>

〔参照〕原審(大阪地岸和田支 昭58(7)16号 昭60.2.27判決)

主文

一 原告と被告間において、亡大来道雄が昭和56年12月11日付自筆証書でなした遺言が無効であることを確認する。

二 訴訟費用は、被告の負担とする。

事実

一 当事者双方の求めた裁判

1 原告

主文第一、第二項同旨。

2 被告

(一) 原告の請求を棄却する。

(二) 訴訟費用は、原告の負担とする。

二 当事者双方の主張

1 原告の請求原因

(一) 原告は、訴外大来道雄の長男であり、被告は、右道雄の二女であるが、右道雄は、昭和57年5月6日、死亡(以下単に亡道雄という。)した。

(二) 亡道雄は、昭和56年4月21日、原告肩書住所自宅において、○○法務局所属公証人○○○に対し、亡道雄所有の別紙物件目録記載の土地(以下単に本件土地という。)を同人死後原告に相続させる旨の遺言をなし、右公証人は、右内容を記載した遺言公正証書(昭和56年第2476号。)を作成した。

(三) ところが、被告は、別紙記載内容の書面の存在を理由に、亡道雄が右公正証書遺言より後に自筆証書遺言(以下単に本件遺言という。)をなしたと主張し、右遺言に基づき被告が本件土地を相続したと主張している。

(四) しかしながら、本件遺言は、次の事由により無効である。

(1) 亡道雄は、本件遺言当時、遺言能力を欠いていた。即ち、

(イ) 亡道雄は、昭和56年11月頃から、所謂「ぼけ」といわれる老人性痴呆の症状、即ち、自分の排せつ処理が不能となり、妹、嫁、孫の識別を間違え、更には自己の行動の記憶も欠如する等の症状が出て来た。

(ロ) 本件遺言自体に即してみても、亡道雄の氏名が「大来道雄」であるのに、右遺言上の氏名では「大来通雄」と表示されていて自分の氏名を間違えているし、又作成日付の年号も、「昭和」とすべきであるのに「正和」と表示している等亡道雄の記憶力、理解力が、当時極度に減退していることを示している。

更に右遺言の字体も、極度に崩れていて、亡道雄の当時における肉体的衰弱を現わしている。

(ハ) そもそも、本件遺言には、「遺言」ないし「自己の死後」等の表示がなく、それ自体の内容も不明瞭で、意味不明である。

(ニ) 本件遺言は、亡道雄において被告の申述どおりを単に筆書したものであつて、亡道雄自身が、自らの意思に基づき、その内容を書き現わしたものでない。

(ホ) 以上のとおり、亡道雄には、本件遺言当時、右遺言を遺言と理解できる能力が全くなかつた。

(2) 仮に、亡道雄に本件遺言当時遺言能力があつたとしても、右遺言は、自筆証書遺言の要式性を備えていない。

即ち、

(イ) 遺言者亡道雄の氏名は、「大来道雄」であるのに、右遺言では、「大来通雄」と表示されている。

(ロ) 右遺言の作成日付年号が、「昭和」とされるべきなのに「正和」と表示されている。

(五) よつて、原告は、本訴により、被告との間で、被告主張の本件遺言が無効であることの確認を求める。

2 請求原因に対する被告の答弁

請求原因(一)の事実は、認める。同(二)の事実は、不知。同(三)の事実は、認める。同(四)(1)(ロ)中亡道雄の氏名が「大来道雄」であるのに、本件遺言では「大来通雄」と表示されていること、右遺言の日付年号が「昭和」とされるべきなのに「正和」と表示されていること、右遺言の字体が崩れていること、右遺言に「遺言」ないし「自己の死後」等の記載がないことは、認めるが、同(1)のその余の事実およびその主張は、全て争う。

亡道雄は、本件遺言当時高齢ではあつたが、元気で事理を十二分に弁識するに足りる精神的健康も保持していたものである。本件遺言に表示された「通雄」なる名前は、亡道雄の生前の慣用にしたがつたまでであり、日付年号の「正和」も、亡道雄において字を知らなかつたため当字を用いたに過ぎない。右日付年号も「昭和」という年号を意味することは明確である。本件遺言に、「遺言」ないし「自己の死後」等の表示がなくても、本件遺言を自筆証書遺言と認めるに妨げとなるものでない。

亡道雄が本件遺言当時、原告夫婦も立会い、原告において右遺言に関し、地番や書面の書き方を指示し、右遺言に対し何等の異議申立もせず、むしろ、被告のための右遺言に協力的であつた。亡道雄は、その生前、かねがね子供等に居宅用地程度の土地を形見として分け与える旨明言していたことや本件遺言成立の経緯からみて、右遺言の内容が亡道雄の意思によつて決定されたものであることは、明らかである。同(2)(イ)(ロ)の各事実は、認めるが、その主張は、争う。

本件遺言における「大来通雄」「正和」なる各記載については、既に主張したとおりであるし、右遺言の他の文言は、その文字自体からみて、遺言者である亡道雄の遺贈の意思を明確に判読できることからも、右遺言は、自筆証書遺言としての要式性に欠けるところはない。

三 証拠関係[略]

理由

一 請求原因(一)の事実、同(三)の事実、同(四)(1)(ロ)中亡道雄の氏名が「大来道雄」であるのに、本件遺言中では「大来通雄」と表示されていること、右遺言の日付年号が「昭和」とされるべきなのに「正和」と表示されていること、右遺言の字体が崩れていること、右遺言に「遺言」ないし「自己の死後」等の表示がないことは、当事者間に争いがない。

二 そこで、亡道雄の本件遺言当時における遺言能力の有無について判断する。

1 (一) 成立に争いのない甲第4号証(成立に争いのない乙第1号証と同じ。)、証人大来七重の証言、原告本人、被告本人、の各尋問の結果(ただし、被告本人の供述中後示信用しない部分を除く。)および弁論の全趣旨を総合すると、次の各事実が認められる。

(イ) 亡道雄には、昭和56年10月頃から、自分の子供である原告を自分の弟と間違えたり、原告の妻である大来七重を自分の妻と間違い、原告の実弟や実弟の妻に対して、「あんた誰や。」といったり、隣人の顔を識別できなかったり、朝食を既に済しているのに未だ食べていないといい、又夕方入浴を済しているのに未だ風呂に入つていないといつて夜中に入浴したり、糞尿の処理を自分で的確にできず始終衣服を汚していたり、又、仏壇に小便をする等の症状が現われて来た。

(ロ) 本件遺言が作成されたのは、昭和56年12月11日であるが、亡道雄は、当日、右症状はなかつたものの右遺言を作成する直前まで別室で寝ていて、右遺言作成の直前、原告に起され、同人に連れられて、被告が居合せた部屋に入室し、原告の介添えで座に就いた。

(ハ) 亡道雄は、同所で、被告から、同人のいうとおり書いて欲しい旨求められ、同人の用意した紙とボールペンを使用し、同人の、六の坪の小さい田を自分にくれとの要求を、そのまま、右紙上に筆書し(ただし、右田が56番地である旨は、かたわらに居合せた原告において被告に教示した。)、又、氏名も日付も、被告が教示するまま、右紙上に記入した。

しかして、被告は、亡道雄が右筆書した後、亡道雄の手を持つて、右紙上の亡道雄の氏名下に、同人の指印を押捺した。

亡道雄は、右指印を押捺する時、いつものとおりの放心状態であつた。

右書面が本件遺言である。

(ニ) 亡道雄が右遺言を書き始めてから右押印を終えるまでの間、約20分を要した(その記載内容は、別紙のとおりである。)ところ、右遺言の字体は極度に崩れ、筆力も極めて弱い。

(ホ) 亡道雄は、本件遺言以前自分の名前を自筆するのに、「通雄」なる文字を使用していなかつた。

(二) 右認定に反する被告本人の供述部分は、前掲各証拠と対比して、にわかに信用することができず、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

2 右認定各事実および当事者間に争いのない前叙事実を総合すると、亡道雄は昭和56年10月頃所謂老年痴呆に羅患した、というのが相当であるところ、右説示に、当裁判所に顕著な、右老年痴呆は進行性である、との事実を合せ考えると、亡道雄には、本件遺言作成当時も、かなり進んだ右痴呆が存在し、是非善悪の判断能力ならびに事理弁別の能力に著しい障害があり、したがつて、亡道雄は、その当時、有効に遺言をなし得るに必要な行為の結果を弁識・判断するに足りるだけの精神的能力を欠いていた、と推認するのが相当である。

3 叙上の認定説示に基づくと、本件遺言は、爾余の点について判断するまでもなく、亡道雄の本件遺言能力の点で、既に無効たるを免れない。

三 以上の次第で、原告の本訴請求は、全て理由があるから、これを認容し、訴訟費用の負担につき民訴法89条を適用して、主文のとおり判決する。

別紙<省略>

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